〜私と子猫と、淡水魚の漁師だった叔父の記憶〜
叔父は、茶色の紙袋に、生まれたばかりの子猫を5匹入れてぐるぐると回し、裏の沼に流した。
「やめようよ、ねえ、やめようよ、死んじゃうよ」という私に、従妹は、「目が見えてからじゃ、もっと可哀そうだって。野良猫になっても、また産んだら増えるからって」
私は、ショックで声にならない涙が体中に溢れているのがわかった。ガクガクと震えるひざが折れそうになるのをこらえながら、なみだの海がのどまでせまってきた感覚を覚えてる。
私は、その子猫たちを連れて帰りたかった。でも、父は猫が嫌いだった。そもそも、そんなことを相談する間も、決断するひまもなく、あっという間の出来事だったのだ。

淡水魚の漁師だった叔父は、大量の川魚やザリガニを家に持ち帰ると、豪快な笑い声をあげながら、機嫌よく、魚をさばいて料理をしてくれる。小さな村のバス停の前にあった、沼のほとりの小さな家。その縁側で食べた、バケツ一杯のザリガニ。
最初は気持ち悪かったけれど、食べてみたら、幼い私の口にはエビやカニと変わらなかった。レモン醤油をつけて食べると、カニを食べているようだった。
「うまいか? なあ、うまいだろう」
「持って帰ってとうちゃんにも食わせてやれ」
なんという優しい笑顔なんだろう。あたたかい笑顔なんだろう。
その笑顔も声も、半世紀以上たった今も、時々思い出す。
「おおー!きたなー!よくきた!うまいものいっぱい食って帰れよ!
おめら食べてる町場の飯より、ここで、おじちゃんがさばく魚料理のほうがずっとうめぇんだから」
実際、私もそう感じていた。母の実家がある、その村で食べるものは、祖母の白和えや煮物、そして大きなおにぎりも、祖母の家の近所ののりちゃんのお母さんがつくるラーメンさえも……。
そして、叔父がさばく魚もレモン酢をつけて食べるザリガニも……とにかく、自分の家で食べるなにより美味しく感じたものだった。
叔父は酒癖が悪く、時々、酔っては叔母を怒鳴りつけていたようだが、子供たちにとっては、元気いっぱいの優しい笑顔と面倒見がよい、働き者の叔父だった。
胸まである長靴を履いて、「おおー!きたか!」と、首が揺れるほど、頭をぐしゃぐしゃと撫でる叔父が、実は、猫殺しの常習犯という悪人である矛盾。
あの子猫たちを川に捨てた時に、確かに私の胸に溢れてきた苦しい涙の海。あの感覚は、今でも光景を思い出すと、感覚まで思い出す。トラウマになっている。
幼い日。人の多面性を少しずつ知り始め、知らず知らずのうちに、大人観察を始めたのは、あのころかもしれない。





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