「いつのまにか、まるくなった背中──娘を失い、時を経て、今の私を見つめる」

いつのまにか、まるくなった背中。
それは、いつか、うしろから見上げた祖母の背中だ。

五十二歳で娘を亡くし、
あっという間に十年以上がすぎた。

相変わらず、まだネットで、ぽちぽちと文字を打ち続けている。
けれど最近、キーの高さ一ミリに指が引っかかることが増えた。

それはきっと、足が一センチの敷居につまずくのと、同じことだろう。

そういえば、歩くときの歩幅も、
足をあげる高さも、
だんだん、狭く低くなってきた気がする。

歩き方が、おばあちゃんになってきたのだ。

私は、自己評価がすさまじく低い人間だから、
こういうのも大袈裟かもしれない。

でも、動画で自分を見たとき、
うーん……やっぱり、だいぶ老け込んでいる。

高市総理が誕生した。
高市さんは、私より二歳くらい年下だったと思う。

たった二歳で、こんなにも違ってしまうのか。

もちろん、「素材」の違いもあるだろう。
けれど、高市総理に限らず、人と会う毎日と、
人に会わない毎日では、やっぱり差がつくのだと思う。

月に一度くらい、
もう洗濯するのが嫌になって、
コインランドリーに行く。

あの空気感が、好きだ。

私は、見ないふりをしながら、
人々を観察している、いやな人間だ。

入ってくる人たちの様子、服装、髪、バッグ。
そこから、その人の人生のストーリーを想像している。

おそらく、その想像は、
ほとんど間違っているだろう。

けれど、そうやって、
人々の群像を眺めるのが、好きなのだ。

経済的な不安は、いつも背中にある。
でも、それを押し返す覇気が、もうない。

四十歳くらいまでは、
ありすぎるほどあった、覇気。
士気、やる気。

交通事故のあと、
しばらく歩けなくなった。

そして、自律神経失調症になり、
ようやく仕事に復帰したころ、
娘は死んだ。

私は、完全に折れた。

自分の心も、体も、
そのすべてが、
ガラスが粉々に割れるように、
バリバリと、しゃらしゃらと、崩れ落ちた。

また、自律神経はおかしくなった。
抜け出そうとしても抜け出せず、
焦れば焦るほど、体調は悪くなる。

何も考えず、ぼーっと暮らしていれば、
一年は、すぐすぎる。

このまま何も変わらず、
死んでいくのだろうか、と、思う。

けれど、どこかで、
まだ「再起」を考えている自分もいる。

悲観はしていない。
ただ淡々と、
「私」という人間を、
少し離れた場所から眺めているような気がする。

私は、どこに向かっているのだろう。
それとも、もう、どこへも向かわないのだろうか。

──今日もまた、
PCの画面の向こうに、光がともる。
そして私は、今日も文字を打ち続けている。

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