PR

「いつのまにか、まるくなった背中──娘を失い、時を経て、今の私を見つめる」

こころの終活
おひとりさまランキングエッセイ・随筆ランキング
あんじぇりか文庫*日々の手帖 - にほんブログ村 人気ブログランキングでフォロー にほんブログ村 シニア日記ブログへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ にほんブログ村 ハンドメイドブログ 今日作ったものへ

いつのまにか、まるくなった背中。
それは、いつか、うしろから見上げた祖母の背中だ。

五十二歳で娘を亡くし、
あっという間に十年以上がすぎた。

相変わらず、まだネットで、ぽちぽちと文字を打ち続けている。
けれど最近、キーの高さ一ミリに指が引っかかることが増えた。

それはきっと、足が一センチの敷居につまずくのと、同じことだろう。

そういえば、歩くときの歩幅も、
足をあげる高さも、
だんだん、狭く低くなってきた気がする。

歩き方が、おばあちゃんになってきたのだ。

私は、自己評価がすさまじく低い人間だから、
こういうのも大袈裟かもしれない。

でも、動画で自分を見たとき、
うーん……やっぱり、だいぶ老け込んでいる。

高市総理が誕生した。
高市さんは、私より二歳くらい年下だったと思う。

たった二歳で、こんなにも違ってしまうのか。

もちろん、「素材」の違いもあるだろう。
けれど、高市総理に限らず、人と会う毎日と、
人に会わない毎日では、やっぱり差がつくのだと思う。

月に一度くらい、
もう洗濯するのが嫌になって、
コインランドリーに行く。

あの空気感が、好きだ。

私は、見ないふりをしながら、
人々を観察している、いやな人間だ。

入ってくる人たちの様子、服装、髪、バッグ。
そこから、その人の人生のストーリーを想像している。

おそらく、その想像は、
ほとんど間違っているだろう。

けれど、そうやって、
人々の群像を眺めるのが、好きなのだ。

経済的な不安は、いつも背中にある。
でも、それを押し返す覇気が、もうない。

四十歳くらいまでは、
ありすぎるほどあった、覇気。
士気、やる気。

交通事故のあと、
しばらく歩けなくなった。

そして、自律神経失調症になり、
ようやく仕事に復帰したころ、
娘は死んだ。

私は、完全に折れた。

自分の心も、体も、
そのすべてが、
ガラスが粉々に割れるように、
バリバリと、しゃらしゃらと、崩れ落ちた。

また、自律神経はおかしくなった。
抜け出そうとしても抜け出せず、
焦れば焦るほど、体調は悪くなる。

何も考えず、ぼーっと暮らしていれば、
一年は、すぐすぎる。

このまま何も変わらず、
死んでいくのだろうか、と、思う。

けれど、どこかで、
まだ「再起」を考えている自分もいる。

悲観はしていない。
ただ淡々と、
「私」という人間を、
少し離れた場所から眺めているような気がする。

私は、どこに向かっているのだろう。
それとも、もう、どこへも向かわないのだろうか。

──今日もまた、
PCの画面の向こうに、光がともる。
そして私は、今日も文字を打ち続けている。

生き方ランキング

にほんブログ村 シニア日記ブログへ

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました