部屋の片隅に積まれた、古いアルバムの山
開くと、もう二度と戻らない時間の中で笑っている誰かがいる。
子どもの小さな手、家族で出かけた海、もう手放してしまった家の風景。
気づけば「いつか整理しよう」と思いながら、何年もそのままだった。
捨てるよりも「残す」ほうが難しい
ピンぼけでも、笑顔でも泣き顔でも、その一枚に“そのときの自分”が確かにいる。
スキャンしてデータ化すれば済む話かもしれない。でも画面の中では、時代を超えてきた紙のざらつきや写真のにおいが消えてしまう。デジタルの便利さと、記憶のあたたかさのあいだで、心が揺れる。
何度もためらって、”残すほうが多かった片付け”を繰り返してきた。
残す基準を決めようとした時、
どこかで「これはもういいかな」と思う瞬間が決断に__。
その瞬間、少しだけ胸が痛い。
でも、全部を抱えていくには、人生は思ったより短い。

昔の写真を見返していると、どんなに鮮やかな思い出も、だんだん“感謝の記録”に変わっていく。あのとき笑ってくれた人、支えてくれた人たちに「ありがとう」と言いたくなる。
だから私は、“捨てる”ではなく“仕舞う”ことにした。
大切なものだけを、少しだけ手元に。ほかは心の中のアルバムに入れておく。
私の人生では、最後の捨て活・断捨離・終活になっていくと思う。
写真を残すって、物を残すことじゃない。
心の中に、どんな形で思い出を置くかの選択なんだと思う。





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