写真を整理して悩むのが「どこに残すか」という問題
昔は、撮った写真を現像してアルバムに入れるのが当たり前だった。けれど、今はスマホ一台で何千枚もの写真を撮って、そのままクラウドに保存できる。便利なようで、どこか不安もある。
母のアルバム
私の母は、紙のアルバムをとても大切にしていた人だった。
棚の奥にぎっしり並ぶアルバムを、季節の変わり目に出しては、ページをめくりながら「この頃はね」と話してくれた。
その姿を見ていると、写真は“見る時間”まで含めて思い出なんだと思う。
しかし、そんな母も、ある日、裏庭にあったゴミを焼くドラム缶(昭和の時代ですから)で、アルバムをどんどん破いて、火の中に放り投げていた。
「こんなものあってもしょうがない」
こういって、どんどん独身時代のアルバムをドラム缶に投げ込んでいた時の表情が忘れられない。でも、今はわかる気がする。
その当時の母は、まだ45歳前後。大病をして生還。
その数年後、体調が悪い事を隠していた。きっと自分の死期を、なんらかの予感なのか、あるいは悟っていたのかもしれないと、今では思っている。
母は、その3年後、母は亡くなった。
子供や夫と写した写真は、燃やしていなかった。あの時、母は、過去や自分の半生を、心のクラウドに仕舞い込んだのだろう。残りの人生を生きるために……。

クラウド保存は圧倒的に便利
劣化しないし、場所も取らないし、スマホからいつでも見られる。災害や引っ越しでアルバムを失ってしまう心配も少ない。
つまり、データは「目に見えない安心」を信じる上に成り立っている。パスワードを忘れたり、アカウントを削除したり、クラウドサービス自体が終了する可能性もある。
便利さの裏には、“管理を続ける責任”があるのだと感じる。
どちらが安心かは「何を大事にしたいか」で変わる
紙のアルバムは、触れる温かさと、偶然の発見がある。
クラウドは、いつでも誰かと共有できるつながりの安心がある。
私自身は、今でも、両方を使い分けている。
特に家族写真や記念日などは、家族も気軽に開けるアルバムに。
日常の小さな写真や、日々の個人的な記録は、クラウドへ。
しかし、最近では、プリントアウトする機会も減りました。
思い出を“残す”というのは、結局、自分の心を整理する作業だなぁ_と。
クラウドも紙も、安心を保証してくれるわけではない。
けれど、自分の手で選び、整えることで、思い出はより自分らしく残っていく。





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