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家族で共有するクラウドアルバムという選択。距離感と安心のちょうどいいところ

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クラウドを家族で共有

スマホやクラウドが当たり前になって、写真を「家族で共有」できるようになった。
でも、実際にやってみようとすると、思ったより難しい。
便利だし、いつでも見られるはずなのに、なぜか心が少しザワザワする。

共有するためのクラウドのアカウント

私も一度、家族で共有フォルダを作ってみようかと考えたことがある。
でも正直、親子で共有なんて、うざがられるんじゃないかと想像してやめた。
「いちいち見せなくてもいいよ」と言われる未来が、なんとなく見える。
それに、私自身も「見られたくない写真」だってある。

それで今は、クラウド上に“自分専用のアルバム”を作っている。
そこには、日々の写真やブログに載せる写真を整理している。
そして、そのアカウントには、多くのフォルダがあり細かく分けている。


そして、まだ家族には伝えないけれど、もしもの時の為に専用のアカウントで
クラウドを用意した。そこには、家族に残す写真を入れるつもり。
生前に無理に共有するよりも、その方が私には自然だから。

共有アルバムの便利さはわかっている


たとえば、友人や家族で旅行の写真を見たり、遠く離れた孫の写真を送ったり。
そういう使い方なら温かい。けれど、私には、そのどれも存在しない。
友人と出かけることもほとんどなくなったし、家族は子供がひとりだけだ。孫はいない。

だから、それほど考える必要もないのかもしれない。でも、子供に少しは残そうかと…。

私が考える理想の形


生きているうちは、自分のためのアルバム」
「いなくなったあと、子供に残すアルバム」
というふうに分けること。


クラウドに残した写真は、いわば“心の手紙”みたいなものだ。

終活の目的は、誰かに迷惑をかけないためだけじゃない。
自分の人生を、自分の手で整理しておくこと。


クラウドでもアルバムでも、その中身を選ぶ時間こそが、
静かに自分が生きてきた人生を見つめる時間になっていく気がする。

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