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怒りっぽくなるのは性格ではありません。「いつか自分も」と怖くなった話

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「怒りっぽくなるのは性格ではありません」

動画で医師が話していたのは、「怒りっぽくなるのは性格ではありません」という言葉でした。

認知症では、脳の働き方が変わり、不安や混乱をうまく処理できなくなります。
怒りや疑いは、記憶が抜けていくことへの“自然な反応”だそうです。

最初は自分に対する不安。

それが「理解されない不満」に変わり、やがて「人への不信」につながっていく。
つまり、怒りっぽさや被害的な言動の背景には、「怖さ」があります。

たとえば財布が見つからない。

本人は自分でしまった記憶がありません。
だから「ここに置いたのに無くなった」と思い込み、「誰かが取った」と感じる。
家族が「取っていない!」と否定しても、本人には理解できません。
むしろ、「この人は敵だ」と感じてしまうこともあるそうです。

医師は、そうしたときの対応として「一緒に探す」方法を勧めていました。
本人が自分の手で見つけると、安心が残る。
「言い聞かせる」より「一緒に行動する」ほうが落ち着くという話には、納得しました。

もう一つ印象に残ったのは、「感情の記憶は残る」という説明です。

記憶は消えても、感情だけは脳に残ります。
だからこそ、言い方や表情が大切です。
叱るよりも、「心配だから私がやるね」と声をかけたほうが、本人も穏やかでいられるそうです。

怒りや疑いの奥には、不安があります。
その不安を見抜けるかどうかが、接し方の分かれ道だと感じました。

強く感じた認知症介護の大きな負担と、「認知症予防の大切さ」

なるほどなあ……と思いながら、これが、介護する側ではなく、介護される側?の立場で観ることが複雑な心境でした。

60代だと、まだまだ、老齢の御両親のいずれかを「介護する側」として、頑張ってる方もおられるようです。そういう方々には頭が下がる思いです。

私も、両親を早く亡くしたので、介護と言う意味では、そのような大変さは経験していません。

父の肝硬変末期は、すでに母が他界していましたから、わがままな父の入退院の繰り返しと身の回りの世話など、下の子がおなかにいるときから、生きていれば母がしていただろう病気の父の世話は、1年半ほどしていました。

しかし、父は動けましたし頭もはっきりしていましたから、介護と言えるほどのことは何もしていません。

これが、「認知症の介護」となると、メンタル的な介護という様相と、中には身体的介護もと加わり、本当に想像を絶する大変さなんだろうと思います。

「介護される側」になるのだけは、避けたいと思いながら、あらためて「認知症」は極力予防したいと思いました。

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