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こころの終活

年齢とともに変わる「物との距離」。片づけをするたび思い出す、弟の言葉と生き直しの感覚

ただ整理するだけでは片づけは続かない。人生の痛みや思い出を抱えたまま、それでも暮らしを軽くしていく。その過程で見えた価値観の変化を書きました。
【1】あんじぇりか文庫(執筆系)

あのとき怒った理由を、今ならちゃんと話せる

時間が経ってやっとわかった。怒りの奥には、寂しさと無力感があった。長い年月をへて気づいたのは、あの時の「怒り」はただの感情ではなく、自分の尊厳を必死で守ろうとした反応だったということ。濡れ衣や理不尽に振り回されながらも、人の温かさに救われ、生き方を問い直した出来事の記録です。
【2】暮らしのこと(日常)

老犬が“やたら大食い”になる理由をまとめてみた|うちのシーズーの場合

うちのシーズーがお皿を舐め尽くす勢いで食べるようになってきたので、老齢化・退屈・クッシングなど、大食いになる理由を実体験ベースでまとめました。年齢なりにゆっくり暮らす中で気づいたことを書いています。
ネット社会

隣国の恫喝を“大喜利”で封じた日本人──世界が驚いたネット民の風刺文化と精神性

中国高官の「首を斬る」発言と恫喝に対し、日本のネット民が恐怖ではなく“大喜利”で応じた現象が世界へ拡散し、各国の政治家まで参加する異例の展開となった。日本人の独特のメンタリティ、江戸から続く風刺文化、そして中国のプロパガンダとの対比を通して、この動きを読み解く。
【2】暮らしのこと(日常)

小説とブログを書き続けて、ついに台所で倒れた日のこと

小説に入り込みすぎて、さらにブログも更新し続けていた結果、ついに台所で倒れた。ホットカーペットに毛布を引きずって寝込み、夜中にポカリを買いに行った日のこと。身体が出した停止サインをそのまま書いています。
「今、ここ」

終活で気づいた「人との距離感」――ひとり時間が心地よくなった理由

学生時代や職場の仲間と過ごしたにぎやかな時間も、今では懐かしい思い出。終活を意識するようになって見えてきたのは、“ちょうどいい人との距離感”。ひとり時間の心地よさと、これからの生き方について綴ります。
健康と美容とか

怒りっぽくなるのは性格ではありません。「いつか自分も」と怖くなった話

「怒りっぽくなるのは性格ではありません」。認知症の動画で医師がそう話すのを聞きながら、「もし将来、あの怒りっぽさが自分の姿だったら」とぞっとしました。介護する側ではなく、介護される側になるかもしれない不安と、それでも認知症だけは予防したいと思った気持ちを書いています。
祈りのかたちー見えない力

日本の芸能・演劇(歌舞伎など)とスピリチュアル・呪詛の関係

日本の伝統芸能や演劇と「呪詛」日本の伝統芸能や演劇は、古くから人々の心の奥底にある「目に見えない世界」と深い結びつきを持っています。その中で、歌舞伎は特に「怪談物」や「怨霊物」の演目を通じて、呪詛や霊的な世界を描いてきました。◉ 歌舞伎にお...
こころの終活

無理をやめたら、人づきあいが楽になった

若いころは「感じのいい人」でいようと無理を重ねていた私。けれど、事故と事業の失敗をきっかけに、人との距離の取り方が変わりました。無理をやめたら、心に余白ができて、本当に大切な人が見えてきた
④まるの目ー時代を読む

不安な時代に、人が静かに「江戸」へ心を戻していく理由

世界情勢や移民問題、治安への不安が広がる中、人々の心がなぜ「江戸」へ向かい始めているのか。YouTubeで江戸の暮らしや食事の動画が人気を集める背景を、生活者の視点から静かに紐解きます。そして、私自身が江戸の生活文化にしぼったブログ「江戸はん」を始めた理由についても綴ります。
江戸の庶民の食生活

現代の食卓に息づく江戸の味。庶民が育てた日本料理の源流

江戸時代の台所から、いま私たちの食卓へと受け継がれた料理の系譜をたどります。寿司、蕎麦、天ぷら、豆腐料理、味噌汁──庶民の工夫が生んだ食文化の“本流”を、文献と歴史背景をまじえながら、現代の料理と比較して分かりやすく紹介します。
言葉・日本語

日本語―「この子」「よろしかったでしょうか」に感じる違和感の正体

日本語の美しさは、助数詞や敬語、所作のような細やかな文化の積み重ねに支えられてきました。その背骨がいま、静かにたわみはじめています。「この子」という擬人化の乱用、「よろしかったでしょうか」という誤用、挨拶の形の変質――小さな違和感の正体を見つめ、日本語の筋を守るための静かな記録です。
【2】暮らしのこと(日常)

認知症の初期症状と物忘れの違い――医師の話でわかった“新しいことが覚えられない脳”

「物忘れ」と「認知症の始まり」はどこが違うのか。医師の解説をもとに、60代の視点でわかりやすく整理しました。
【2】暮らしのこと(日常)

60代、これからの顔をどうしていくか?考えなくていいのか……。

若いころは気にしていた顔のシワも、白髪も、今はもう見慣れた風景。でも、ふと鏡を見て「このままでいいのかな」と思う日があります。60代、ここからの顔をどうしていくか——お金をかけず、見栄も張らず、できる範囲で“自分らしく整える”ことについて考えてみました。
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