若いころの私は、大袈裟にいうなら「ちゃんとした人」でいようと必死でした。
空気を読んで、誰かが不機嫌そうならフォローし、誘われたら断らない。
「感じのいい人」でいることが、礼儀だと思っていたんです。
でも、気づいたら心がすり減っていました。
予定が詰まっているのに笑顔で出かけ、ことさら盛り上げ、帰り道でため息。
家に着くと、何もしたくない。あの頃の私は、
「人づきあいがしんどい」と思っても、それを言葉にする勇気がなかったんです。
転機は、事故の後遺症と経営していた事業の失敗で引きこもりがちになってからです。
事業に失敗すれば、人は静かに去っていきます。
まして、歩けないからだでは、面白みもないですからね。
だんだん、人と連絡も取らなくなりました。
人の心も、なんとなく透けて見え始めてきて、
「ああ、もう、がんばるのよそうかな」と思ったのかも……。
人と会う機会が減り、ひとりの時間が増えたとき、
「あれ、私、こんなに静かなのが好きだったんだ」と気づいたんです。
誰にも合わせない時間が、思っていたより心地よかった。
その感覚を知ってから、人づきあいへの向き合い方が変わりました。
たとえば、まれに、誘われても、
たとえそれが、かなり久しぶりの懐かしい相手であっても、
気が進まないときは「今はやめておくね」と言う。
LINEでの、やりとりも、必要最低限のやりとり。
無駄なおしゃべりはなくなりました。
人づきあいを楽にするのは、「頑張ること」ではなく、「やめること」なのかもしれません。
今では、むしろ、ゆるく関係を維持して大切にしたいなら、まず自分をすり減らさないことと考えてます。
無理をやめたら、心の中に少し余白ができました。
その余白に、ほんとうに大事にしたい人たちがちゃんと見えるようになった。
それがいちばんの変化です。

外でたまにコーヒーも
これも、心の終活の一端だと思ってます。



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