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終活で気づいた「人との距離感」――ひとり時間が心地よくなった理由

「今、ここ」
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ひとりの時間が、癒される

静かな午後にふと、そんなことを思う瞬間がある。
――終活を意識しはじめて気づいたのは、「モノ」よりも「人」との距離のほうが、ずっと複雑で、整理しづらいということ。

年齢を重ねると、学生時代の友人、独身時代の仲間、職場の同僚たち…気づけば、どのグループとも少しずつ距離ができていく。今の職場で気の合う人がいても、それはあくまで“職場だけ”の関係で、仕事を離れた途端、連絡を取ることもない。


私自身、そうやって人間関係の枠が少しずつ狭まり、気づけば、
良くも悪くも…かもしれないが、とても身軽になっていた。

あっという間にすぎた時代

でも、30~40年前(1980年代~90年代)――あの頃は違った。
職場の仲間や昔の幼馴染、昨日知り合ったばかりの友人、とにかく、いつも誰かと一緒だった。しかも二人じゃない。いつも3人以上が多かった。

まるで、人間関係もバブルだったのかなと感じるほど、今ではまったく違う暮らし。

毎月、1回、同じ日時に、年代は上下5~6歳の、街の先輩後輩で集まって飲んだり、それ以外の日でも、誰かが声をかければ、どこかの家やカフェバーなど(当時は人気のカフェバー)に、自然に集まった。常連は子供連れもいたし、ほとんどの人は、月に1~2度は、親や兄弟の家などに子供を預けて出てきたり、家族関係も希薄じゃなかったし、とにかく、元気だった。華やかだった。


バーベキューをしても、その煙の向こうには、笑い声と、どこまでもつながっていくような関係のぬくもりがあった。


それが今では、まるで別の時代。あの頃って、実は違う次元?と思うほど、異次元にいたような錯覚すら覚える。

社会全体が少しずつ「個人主義」へと傾き、不景気が続き、近所づきあいも希薄になっていく。
“ひとりでいること”が悪いことではなく、むしろ自然なこととして受け入れられてきた。


気づけば、そんな生活をしてた私も、誰かに合わせるより、自分のペースで生きるほうが楽になっていた。

今では、食事会や女子会、同窓会――かつて楽しみにしていたものが、どこか面倒に感じるようになった。断ったり、住所が変わっても連絡もしなかったり、そのうち、同窓会にも呼ばれないほど忘れられた存在になった。

とはいえ、今も地元で同級生の集まりによくでている友人が言うには、いつも集まるメンバーは同じ。前後4~5歳の中で、せいぜい4~5人か、同窓会でさえ、20人前後だと言ってた。


本当に、時代は変わってしまったと思ってる。


あの頃のような距離感が戻るとしたら、私は、きっと少し身構えてしまう。
もしかしたら、私の中の「人との距離の取り方」そのものが、変わってしまったのかもしれない。

けれど、終活を考えるようになった今、ふと立ち止まる。
このままでいいのかも、と。

たまには、昔が懐かしいこともあるけれど、
たぶん、今、同じ環境になったらと思うと、絶対ムリ。


ひとりが好き。静かな日常が心地いい。


猫や犬と過ごす時間は、何よりの癒しだし、気が向いたらふらりと町へ出て、カフェでひとりの時間を楽しむ――そんな暮らしが、今の私にはちょうどいい。

でも、“新しい刺激”を求めなくなるのは、歳を重ねた証拠という側面もあるのかもしれない。


それでも、やりたいことはまだまだある。人生をあきらめているわけじゃない。


きっと、これからの人生は、他人との距離を広げすぎず、

だからといって無理に近づきすぎず――。


「ちょうどいい距離感」で、心地よく生きていく時間なのかもしれない。

年月の積み重ねと時代の流れ、

変化と共に距離ができたからこそ見える、自分の輪郭がある。

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