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あのとき怒った理由を、今ならちゃんと話せる

【2】執筆系(あんじぇりか文庫)

あのとき、なんであんなに怒ったんだろう。

時間が経ってからふと思い返すと、怒りというより「悲しさ・悔しさ」だった気がする。

私はもともとは、我慢するタイプだった。波風を立てないように、飲み込んで済ませてきた。だから、いつもケラケラしている印象が強かったらしい。それはあまり深く考えないタイプにも見られたし、いつでもポジティブ変換していたし、物事を笑い飛ばして、すぐ忘れるタイプとも思われていた。あだ名も、そういうあだ名で呼ばれていた。

でも、あのときだけはどうしても黙っていられなかった。

 

あれから30年もたち、やっと分かった。

怒りって、相手を責めるためのものじゃなくて、「自分を守るための反応」なんだと__。

あのとき私は、ひどく軽く扱われた気がした。
渾身を込めて続けてきた仕事を、簡単に一蹴されることは、仕事の中ではよくあることかもしれないし、そういうことでいちいち、怒りを人に対して表したりはしません。

しかし、私自身の生き方・その仕事への取組みにおいての、私なりの『掟』はありました。

それを、まるで『その掟とは真逆の仕事ぶり、生き方である』とでも言いたいかのようなことを、職場で流布されたとき、絶望的な怒りを抑えるのに必死でした。

 

無視していればいい。馬耳東風……では済まなかった。

それは、職場を追われる問題にまで発展していきました。もちろん、事実無根。

簡単に言えばこうだ、「会社のお金を使い込んだ」「同僚のお金を盗んだ」。

これは、今思えば、名誉棄損で何人かの社員と会社を相手に裁判をすれば買っいたことかもしれません。

先輩のお局様で、ひとり、母と親しかった人がいて、彼女は私以上に、この件で怒り狂い、「こんなひどい事をされたのでは、会社を相手取って、名誉棄損で訴えを起こしたほうがいい」とまで言ってくれて、本社へ電話をして、大騒ぎになったことがあります。

 

濡れ衣でも潰される、吹けば飛ぶようなシングルマザー

私は、なぜ、そんな濡れ衣を流布されたのかよくわかっています。これに関しては、いずれ、克明に小説にするつもりです。

支社長は、お局様の家で待っていた私の前で、もう、玄関を入るなり、いきなり土下座をしたのです。土下座をして、「どうか、本社には伝えないでほしい」「警察沙汰にはしないでほしい」と懇願しました。

 

あの土下座を思い出すとき、怒りより先に来るもの

怒りは、その支社長の土下座をみて、だんだん、悲しみに変っていきました。

それは、私自身への俯瞰の悲しみと、支社長への哀れみ、サラリーマンの悲哀。そして、お局さまへの感謝の気持ちまでもが入り混じった、おかしな終結へと向かって行ったのです。

一言で言えば、『私が折れた』。

しかし、そんな会社には、もういたくないのは当然のことでしょう。

会社側としても、すでにそのレッテルは消えなくなっているし、さらなるもめごとが起きることを懸念していたようです。いつ私の気が変わって何を言い出すか分からないとも思っていたかもしれません。

この一件は結局、「間違いだったようだ。でもはっきりしていない。もみ消したかもしれない。真相は分からない」という着地点になっていきました。限りなくグレーの着地点。

しかし、社員は真相を分かっていたようです。それは、私のことを邪魔に思う別のお局と、私のことを内心邪魔に思っていた、同期入社が流した流布でした。そのお局にべったりくっついていた、私と同期入社の同僚。理由は「嫉妬」と「不安」でしょう。棒グラフの世界にはよくあることです。

 

まるで、大奥

『大奥』に重ねてみてください。

二人のお局がいて・・・と、この交換図を想像すれば、とても分かりやすい解釈ができると思います。

お局さまは、それでも我慢ならんと、
本社に電話をしてくれたのですが__。

 

有名大企業のお偉いさんと、私の会話

数日後、本社の相当偉い立場の人から、私の携帯に電話がかかってきました。しかし、その声は、とても上から目線でした。

すべての事情が「嘘だった」「営業の成績を妬んだ者の嘘の流布だった」ということは、判明したけど、このような噂がたって、もう従業員の口に戸は立てられない。しいては、会社のイメージにも関わることに……。子会社の山奥の事務所への転任をしてもらえないかという話。

この時、初めて、私は、本当に「怒り」を口にしました。

 

無実の罪で、首切り宣告

その当時、私は、離婚して、下の子はまだ4歳にもならず、しかも車も持っていませんでした。電車も通っていない場所にある事務所。自転車で通える場所でもなく、バスも一日に3~4本。バス停を降りてから、熊が出そうん山道や農道を歩いて行くような場所への移動を提案されたのです。しかもバスを1本逃せば、翌日まで帰れない。

これは、体のいい首切り宣告だった。

 

もう、怒るしかなかった。

私は、生きる糧、子供を食べさせる糧を、このような形で失うのかという怒りでした。

 

大企業の理不尽な対応、私は虫けらだった

一部上場の、日本人なら知らない人はひとりもいないだろう会社。世界中にも支社があるような大企業。その会社が、このような仕打ちをし、表では、乳飲み子や、働く母親に愛あるコマーシャルまでやっている……。

世の中の仕組みとはこんなものだとわかっていても、まさか、私のような末端のシングルマザーに……こんな小者に、そんな仕打ちをするものなのかと、さすがに、この怒りは、本社のお偉いさん相手に、しっかりとぶつけました。

 

一部上場の有名大企業の冷酷さ、理不尽さ

私は、退社はすでに決めていたので、はっきり言いました。

「ようするに、クビを切りたいけど、その理由がみつからないので、そのようないやがらせをして、私のほうから辞職するように促しているということですよね?そうまでして、この会社にしがみつく気は、さらさらありません。しかし、私は、これを黙っているつもりもありません」

すると、

「訴えるってこと?
弁護士つけられるんですか?
お金かかるよ?
そんなお金ないでしょ?」

この屈辱的な、吐き捨てるようなトーン。上から目線の本社のお偉いさんは、こうも続けた。

「訴えるなら訴えてもいいけど、母子家庭のあなたひとりが、わが社を相手取って訴えて、勝てると思ってる?人生おわるでしょ。もうそんな無駄な時間費やさないほうが身のためだと思いますよ。それとも、わが社を脅してるの? ゆする気ですか? そっちがその気なら、あなたのことも、よーく調べさせてもらいますから……裁判ってね、あなたが思ってるほど、甘くないですよ」

私は、キレました。

「その言葉、一生忘れません。私は黙っていません。しかし、訴えることもしません。確かに、おっしゃる通り、そのような余裕はありません。しかし、私は、このことは黙っていません。聞かれれば誰にでも話します。口どめは無駄です」

と、はっきりと語気を強め、冷静な口調で伝えました。するとまた、

「やっぱりお金? ゆする気でしょう。無駄ですよ。あまりなめないほうがいい」

「違います。申し訳ないけど、あなた、こんな大企業のそんな役職にいながら、さもしい連想しかできないんですね。よほど、周りはそういう方ばかりなのでしょう。私は、そんな会社には未練などありませんし、これからは、誰かに聞かれれば、酷い会社だと答えるだけです。こんな扱いを受けた…と、あなたとの会話を話すだけです」

「あ、そう、はい。どうぞ、ご自由にしてください。とにかく、では退社されるのですね。支社のほうにこの一件について、あなたが退社を希望する旨、連絡しておきますので、そちらで手続きしてください。(ガチャ)」

完全に、わたしを馬鹿にして、虫けら同然の扱いでした。

今思えば__
あの時の屈辱には、大きな怒りを覚えました。
しかし、今思えば、相手への怒りというより……

「人生で、大きな“ヘマ”を打ってしまった、自分への悲しみ」が怒りになっていたんだろうと思います。あの会社を選んだことも、私の大きな“ヘマ”だったと思っています。

それに、世の中は、そんなものだということは分かっていたのだから……。

 

哀れみと感謝への昇華

今では、あの時のことを思い出す度に、「あの土下座した支社長はどうしているのだろう」と、リーマンの悲哀に同情する気持ちになったりします。

そしてなにより、母の友人だったお局様。

私をあれこれと、自分の職場での椅子まで賭けて、怒り狂って支社長を怒鳴りつけて、私を「可哀そうだ、可哀そうだ」と、涙までにじませてくれたお局様。

あのお局様を思い出すたびに、人の温かさを再確認し、彼女が、我が母との縁を大事にしてくれた気持ち…それが、私自身の中で、母への感謝となり、むしろ、お局様との交流の中で、今はもう忘れかけていた、小さな感謝の思い出に昇華し始めているようです。

あのときの私に言いたい。
「よく怒ったね」って。

黙ってやり過ごして流されていたら、もっともっと自分がすり減っていたでしょう。
そして今なら、同じ場面に出くわしても、怒る代わりに「それは違う」と静かにとどめを刺したかもしれない(怖w)。

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