どうしても消えない後悔とのつき合い方
歳を重ねるほど、「あのとき、こうしておけばよかった」と思い出す場面が増える。
若い頃なら忘れてしまえた後悔も、人生の先が見えてくる世代になると、ふとした拍子に胸の奥で、起きだしてフラッシュバックすることがある。人間関係、家族のこと、言えなかったひと言、決断を遅らせたこと、無理をしてしまったこと。後悔には種類があるのに、どれも似たような重さで心に居座る。
厄介なのは、後悔というのは“解決する相手”ではなく、“忘れようとしても消えない記憶”だということ。相手が亡くなってしまって謝れないこともあるし、過去の自分を今さら変えることもできない。だから、後悔に正面から向き合うと、だいたいこちらが負ける。あれは一生、勝てない相手だ。

じゃあどうするか。
私は最近、「共存するしかないんだろう」と思うようになった。
共存というと大げさに聞こえるけれど、実際はもっと地味な話だ。
たとえば、
後悔を消す努力はしない。
忘れようとも思わない。
反対に、わざわざ思い返して苦しむこともしない。
ただ、“あるものとして扱う”。
棚の上に置いてある古い箱のようなものだと思う。
後悔というのは、感情的には重いけれど、事実としては「過ぎたこと」だ。人間は過去を丁寧に反芻する生き物だから、どうしても引き戻される。
でも、その度に自分を責める必要はない。心は勝手に動く。勝手に思い出す。そこを自分の根性でねじ伏せようとするから苦しくなる。
歳をとると、気力も体力も落ちると言われるけれど、私はむしろ“過去を扱う力”がついてくると思っている。若い頃は、自分の失敗を隠すか、勢いでごまかすかか……そんな場面もあったのではないだろうか。
でも、60代くらいになると、いつのまにか「余白」ができる。その余白の中で、後悔を「まあ仕方ないわね」と、置いておけるようになる。
もちろん、夜にひょっこり出てきて胸が痛むことはある。
後悔が完全に消えることなんて、たぶん一生ない。
でも、痛む頻度は自分の扱い方次第で変わる。
そんなときに、私はこうしている。
後悔が頭をよぎったら、
「うん、そうだよね……でも、まあ大丈夫」と、心でつぶやく。
それで終わり。深追いしない。

もう、この歳になったら、いたずらに原因を掘り返さない。自分を責めない。
感情は波だから、乗り越えるより、過ぎるのを待つほうが早い。
そしてもうひとつ大事なのが、後悔の“形を変えていく”ことだ。
たとえば「あのとき、言葉が足りなかった」と悔やむなら、今の生活で“言葉を少し丁寧にする”よう心がける。「もっと優しくすればよかった」と思うなら、今の人間関係で、ひと言、優しさを足せばいい。それで後悔が消えるわけではない。でも、後悔の傷みや、その傷みの鋭さが薄まり、丸くなる。扱いが軽くなる。
自分を誤魔化すわけじゃない。すべて背負って生きていく。
受け入れて、それでも丸く生きるコツ。
後悔は過去のことだけれど、“今の自分の在り方”で緩んでいく。
大事なのは、後悔を消そうと躍起にならないこと。
消えないものを消そうとすると、精神が削られる。
後悔は、消してしまう対象ではなく、心に沈め、あたためて溶かすもの。
年齢を重ねるほど、後悔は増える人も多いと思う。
でも同時に、“共存の仕方”もうまくなる。
それが、人生の後半にしか身につかない小さな技術だと思う。
後悔に勝とうとしなくていい。
ただ、自分の生活が続けられるように、静かに横に置いておけばいい。
それで十分。



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