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後悔のない人生は存在するのか。年齢を重ねて見えてきた“答えのようなもの”

【2】執筆系(あんじぇりか文庫)

後悔のない人生というステレオタイプのことば

後悔のない人生という言葉を聞くたびに、「本当にそんな人生があるのだろうか……」と。

どんな選択をしても、あのときこうすればよかったという思いは:必ずどこかに残るもの。

人は常に“今の自分から”、過去を眺めてしまうから、

どうしても、“もっとましな選択があったかも……”などと感じてしまうことがあるのだと思います。

 

若いころの後悔は、熱や勢いがあった。

仕事の判断、人付き合い、言わなくてよかった一言。

細かく思い返すと、胸の奥に小さく刺さるような感情が蘇ります。

 

けれど五十歳を越えたくらいから……

その痛みの質が変わってきました。

反省というより、あの時の自分を、「よく頑張ったじゃない」と受け止める気持ちも、時折、感じることができるようになったのです。

後悔したことなどが、完全に消えることはないけれど、角が丸くなる瞬間は確かにあります。

あの失敗があったから、今の判断の慎重さがある。

あの別れがあったから、今は、もう少し人に優しくできる。

 

『過去の選択が、現在の自分をつくる材料になっている』

私が、そんなことに気づき始めたのは、ちょっと遅かったかもしれません。

しかし、個人差はあるものの、そういう気づきは、年齢を重ねたとき、誰でもふと感じることがあるのではないでしょうか。

後悔の性質が“重し”から“学び”へと変わっていきます。

また、後悔の有無は結果よりも、「その時の自分が、どれだけ納得して選んだか」に近い気がします。誰かに流されたままの選択ほど、後から大きな後悔になるように思います。

歳を重ねて得た結論めいたもの

後悔のある人生は「失敗した人生」ではなく、

むしろ「ちゃんと生きた証」だとも言えるんじゃないかなということ。

何も感じず、何も悔やまない人生のほうが、むしろ味気ないのかもしれません。

『後悔のない人生』とは、おそらく“理想の概念”であって、実在はしないのかもしれません。

そう思えば、少し、気が楽になりませんか。

これは気休めでも自己弁護でもなく、おそらく、人生とはそういうものなのだと思います。

それを口に出すか出さないかであり、その後悔が大きなものか、あるいは大きなものと感じてしまう、実は小さなこと、誰にでも起きていることなのか。

とにかく、実在はしていないのかもしれません。

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