PR

“このまま誰にも知られず死ぬのかな”と思った日のこと

①生き方エッセイ
スポンサーリンク

“このまま誰にも知られず死ぬのかな”

ときどき胸の奥にひゅっと冷たい風が通るような瞬間があります。
「このまま誰にも知られずに、ある日ぽつんと終わるのかな」
そんな考えが、急に、ふと浮かぶ瞬間がある。

特にそう思わせる何かが起きた時の話ではないのです。

日常の中で、不意打ちのように、突然やってくる静かな不安。
誰かに話すほどのことでもない……でも、自分の中ではずしりと重い。

これは、年齢を重ねた人だけによぎる、不意打ちの感覚かもと感じてます。

この歳まできたからこそ、ふいうちで訪れる気持ち

けれど、この気持ちは決して異常でも暗いものでもなく、
“長く生きてきたからこそ出てくる、妙にリアルだけど自然な感情”なんだろうな……と。


特別つらい出来事があったわけでもない。

いつも通りに家事をして、夕方になり、

ふと「今日、誰とも話してないな」と思っただけ。

それから、その日は、少しネガティブに、

「ああ、このまま死んだら、誰にも知られないまま、何日すぎるのかな」と。


家庭があっても、友人がいても、孤独を感じる日はある。
逆に、一人暮らしでもあたたかさを感じられる瞬間は、少なからず暮らしの中にもある。

こんな時こそ、ネガティブ集めをして、言葉を重ねない

注意すべき大切なポイントは

「完全な孤独」と「寂しさの瞬間」を同一に重ねないことだなと___。


ひとりの時間が長いからといって、人生ごと孤独になるわけでもない。

ふと、心によぎる、“ゆらぎ”? “ぶれ”?

そういうものが、「完全な孤独」と「寂しさがよぎった瞬間」を

同じベクトルに重ねてしまう。

もし、日々の暮らしの中で、誰とも会わない日が多い人は、
この「こころのゆらぎ」を、あまり考えすぎないほうがいいです。

たとえば、よく行くお店の顔見知りの店員さんに
「こんにちは。今日は寒いね」と声をかける。
気が向いたときだけ、連絡を取るゆるい友人関係を保つ。

どれも大げさではないのに、意外な安心感が生まれると思います。

回覧板は、日本特有の、実は有能な「孤独回避システム」

ちょっと、意外な視点を拾うなら、馬鹿にできないところとしては、地域の回覧板。
これは、今の時代だからこそ、大切な「孤独回避のツール」です。

市の広報は、一方的にポストに入っている新聞みたいなもの。
でも、回覧板って、日本独特の「誰ひとり、取り残さない」ツールです。

アパートやマンション住まいで、引っ越しが多かった人、しかも都会の賃貸住まいの人は、
回覧板なんて参加していない、むしろ鬱陶しいと考えているひともいるかもしれません。

でも、シニア世代になったら、おひとり様ならなおさら、
まわってきた、回覧板に、名前をサインして、次の家に届ける作業は、
孤独の回避になります。生存確認のツールになります。

大げさではなく、現実的な点から言っても、
“私はひとりだけれど、ひとりきりではない”という、
さりげなく感じることができるツールです。


結局、人は“誰にも知られずに死ぬ”より先に、
“今日を生き延びる方法”を、ちゃんと見つける。

そんなふうに気持ちがふっきれると、孤独の影は薄くなっていきます。

生きている限り、不安はゼロにはならない。
でも、そのたびに立ち止まって、深呼吸する!

そして、また、日常の生活に戻っていく。
そのくり返しこそが、人を静かに強くしていくのだろうなぁ……と、
つくづく感じている今日この頃です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました