何度、断捨離しても、いつの間にか
「とりあえず…で、“そこに置いてしまう”もの」がすぐ増えている。
「捨て活しよう!」「断捨離だ」と、はじめてはみるものの、持病の脊椎観狭窄症、年齢的な足腰の弱り具合は、とても厄介な敵になる。
そして、結局、何度も、長い休止期間ができてしまう。
- なるべく腰をまげない
- なるべく膝をまげない
- 一度曲げたらなるべくそのまま作業したい
- 何度も立ったり座ったりは痛みが走る
抗えない、無理をできない、逆らえない理由だ。
日常の暮らしの中でも、もはや、痛み優先?
片付け優先?と、ジレンマになることもしばしば……。
「スッキリ暮らしたい」気持ちいっぱいなのに、フットワークがすっかり悪くなった自分の体に対して、イライラするという悪循環を感じるのは、特に11月~12月(年末)にかけて。
思い切って集中して動くと、あとは3日くらい寝込む。
そんな繰り返しを何度となくやってきた。

でも、最近は、ゆるっとしてきた自分を感じはじめている。
なぜそうなってきたか?
これは精神的な老化も否めない事実なんじゃないかと感じているが、むしろ、片付かない部屋より、その精神的な劣化のほうに恐ろしくさえ感じ始めている。
きちんと片付けるのではなく「手放す」ことにした。
「片付けよう」「綺麗に部屋の中を整えよう」という50代までの感覚を、この際、ひとまず捨ててみることにした。
「捨てる」を迷ったとき
迷った時は、少しだけ時間を置く。たとえば一日、三日、一週間。
ふと、「やっぱり捨てよう」と、あんなに悩んで捨てなかったはずなのに、あっさりと捨てる気になる瞬間がある。その時は、迷わず捨てることにしている。
そして、
どうでもいいものが、家の中には、とてもたくさんある。
- 無くてもいいが、あれば便利なもの
- 便利だけどあまりつかわないもの
- 使わないけどせっかく買ったという捨てにくい値段だったもの
- 亡くなった家族の思い出などが関係しているもの
これらの場合、心のどこかが粘着している「もの」たちだ。
- 同じものが複数
- 使い道は同じだけどデザインが違うもの
- プリクラや同じシーンの写真
- 何枚も連写で映し、微妙に違うがほぼ同じような写真
- 知らない人もたくさん映っているけど豆粒くらいに我が子が写っている複数枚の写真。
ほんとうに、厄介なのは、私の場合、この写真とプリクラだ。
頭の中では、それをどのように整理すればいいか、はっきりわかっている。
しかし、それができないのだ。
それは「ココロが邪魔をしている」から___。
だから、もう、亡くなった家族や子供の写真の整理は、
いちばんあとにすると決めることから、来年は始めようと思う。
写真は、いちばん最後に整理する。
まずは「もの」。
どうでもいいもの。
複数あるものは、消耗品でない限り複数はいらないのだから。
最後の最後が、写真の整理になるだろう。

(余談)
さあ、年末。
今年の年末は、いきなり「仕事やめた」と爆弾をうちの子に落とされて、お正月どころではない気分。どうする気なんだろう……。



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