老い支度(終活)で見つけた、もう一度やりたいこと

暮らしの終活

終活とか老い支度とかいう言葉を聞くと、どこか少し寂しい響きがあります。

持ち物を減らすこと。
身の回りを整えること。
いつか困らないように、今のうちに片づけておくこと。

綺麗に整理して、最後のステージをリセットして生きること。

たしかに、それも老い支度のひとつです。
でも、実際に始めてみると、それだけではないのだと気づきました。

押し入れの奥のものを一度、とりあえず引っ張り出すとき、
何年も触っていなかった箱を開いたとき、
しまいこんでいた手帳や写真や小さな道具を、一つひとつ見直していたとき、
何年も前に、ユーチューブにアップしていたVlogを開いた時も……。

そうしているうちに、忘れていたものが出てきます。

物だけではありません。

その頃の気持ちや、途中でやめてしまったことや、
忙しさにまぎれて置き去りにしてきた
自分の願いのようなものまで、一緒に出てきます。

老い支度は、終わるための準備ではありません。

過ぎてきた時間の中から、まだ自分の中に
残っていたものを見つけ直す作業でもあるようですね。

「やり残した感」が出てくると、
「やっとかなきゃ感」に変わる。

私にも、そんなふうにして見つけた「やり残した感、やっとかなきゃ感」がありました。

若い頃は好きだったのに、いつのまにか遠ざかっていたこと。
やりたいと思いながら、生活の中で後回しになっていたこと。
やりたいけど、無理だと思っていたこと、今更と思っていたこと。
今更始めるほどでもない、と自分で勝手に蓋をしていたこと。

本当に手放してよかったものと、
手放したふりをしていただけのものは、少し違うということも気づきました。

心のどこかに残っているものは消えていません。
長いあいだ見ないようにしていただけで、最後まで心の隅に残ります。

年を重ねると、「もう遅い」と思う場面が増えます。
体力も気力も、若い頃と同じではありません。
新しいことに挑戦するには、少し勇気も要ります。

けれど、もう一度やりたいことに必要なのは、若さではないのかもしれません。
勢いよりも、むしろ、今だからこそ味わえる、発見できることがある、
若い頃だったら気づかなかったかもしれないことって、
必ずあると思っています。

若い頃のように、派手に大きくやらなくていい。
誰かに見せるほど、認めてもらうほど、立派でなくていい。
そして、それは、うまくできなくてもいい。

ただ、もう一度やってみる。
それだけで十分なのだと思います。
多分、もう一度、それに没頭してみる、チャレンジしてみる、行ってみる。
それだけで、心がすっきりして、それも結果的に、終活リストチェックに入る。

老い支度をしていると、どうしても「減らす」ことばかり考えがちです。

物を減らす。
予定を減らす。
無理を減らす。

最近、私が自分に感じていることは、自分の時間や環境への
期待まで減らしてしまっていないか?ということ。

この先の時間を、何で満たしたいのか。
どんな気持ちで過ごしたいのか。
何を持っていたら、自分らしくいられるのか。

老い支度は、そのための見直しでもあるのでしょう。

老い支度は、諦めるための作業ではありません。
むしろ、今の自分に合った形で、もう一度生き直してみるための支度なのかもしれません。

大きな夢でなくていい。
誰かに褒められることでなくていい。
小さくても、自分の心が少し動くこと。
それを、もう一度大事にしてみる。

老い支度で見つけた「もう一度やりたいこと」は、
残り時間を埋めるためのものではなく、
これからの時間に、ちゃんと灯りをともすものなのだと思います。

私の、老い支度(終活)で気づいた。
もう一度やりたいこと、ここに書くと長くなりますから、
次の記事に書こうと思います。

「なんだ、私、まだまだ生きる気満々なんじゃない?」と
自分に対して、笑ってしまうほど、色々と思い出したり、気づいたりしてるんです。

若い頃は好きだったのに、いつのまにか遠ざかっていたこと。
やりたいと思いながら、生活の中で後回しになっていたこと。
やりたいけど、無理だと思っていたこと、今更と思っていたこと。
今更始めるほどでもない、と自分で勝手に蓋をしていたこと。

ありますか?
たぶん、誰もがあると思います。

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